un journal

「未知ある  陰ひとつない道歩く曇り空 君のさびしさはどんなさびしさ  く」

散歩すること

 何年か前までは冬が苦手だった,というのも冬は夜が降りるのが速くて,学校がおわったらもう辺りはまっくらになっちゃうから.けれども最近は夏のほうが苦手で,それはけっきょく日の光が完全に消えるまでは,擦りガラスの窓の外にべつの世界が広がっているという幻想が持続して,それが部屋の中にいるぼくの精神をさびしさで締めつけるからだと思う.それはひとを散歩に駆り立てる幻想で,だからぼくは荷物をまとめて外に出るのだけど,そこに広がっているのは見慣れた景色で,道は少なく,取りうるルートは限られていて,どこかに行きたいとは思うのだけど,けっきょくどこにも行けなかったりする.だから外に出るたびにここに住むことにしたことを後悔して,こんどはもっと散歩しやすいところに引っ越そうとも思うのだけど,どこに引っ越してもおなじことかもしれない.それでも,休日の午後にふだん行かないような,ちょっと遠いところまで足をのばすと,突然,世界が喜びにあふれてるような気がして,そのまま恍惚の境地にまで駆け昇ることもある.つまり,ぼくの気分の半分は道によって規定されていて,けっきょく取りうるルートが多ければ多いほど,いろいろな場所に行けて,いろいろな気分に対応できるということだと思う.だから理想的な空間デザインは,多様な場所が多様なルートでつながっているというもので,詩集とか歌集みたいに好きなところから好きな方向にうろうろできなきゃいけないと,久しぶりにとある詩集を開いたときに感じたんだ.ぼくはこれを散歩詩学とかってに名づけて詩集のページをおもむろにめくった.