un journal

「未知ある  陰ひとつない道歩く曇り空 君のさびしさはどんなさびしさ  く」

無知のヴェールと宇宙人――哲学的思索モドキ

(まずはじめにこれから書くのは素人の素人による素人のための哲学的思索モドキであって哲学ではないっぽいとゆってあらかじめ予防線を張っておく.じっさい,これから書くのは今日の朝ぼんやりと考えてたこと以上でも以下でもない.)
 
 言わずと知れた無知のヴェールの議論――生まれる前に自分の生れたい世界を選べるけど,どんな境遇の子供として生まれるかはわからないとすると,いちばん恵まれていない人がましな生活をしてる世界に生まれようとみんな思うよね――は,各方面からぜんぜん普遍的な原理じゃないと非難されてるらしい(よく知らないけど).問題設定の恣意性や,その背後にあるイデオロギーは不問にするとしても,確実にいえるのは,これは人間のリスク回避性向に頼った議論だということだ.だから,人間のそういった性向の普遍性を信じるにしても,この議論は宇宙人には通じないかもしれない.
 けれどもちょっと待てよ,宇宙人に通じる倫理観ってそもそもなんだ? と考えてみると,どう考えてもそんなものは存在しないようにも思われる.例えば,共感能力のない宇宙人とは,共感に訴えかけるような倫理観,つまり人間にとっていちばん標準的に思われる倫理観を共有することはできない.功利主義やカント主義はどうだろう? いや,どう考えても共感のできない宇宙人がいちいちほかの種族の効用を考えたり,ほかの種族に尊い人格を認めたりするとは思い難い.
 ここで無知のヴェールがあんがい役に立つのかもしれない.宇宙人であるあなたがたは,もしかしたら人間に生まれていたかもしれないとするならば,われわれのことも配慮してしかるべきじゃないかな.ここには共感能力が密輸入されていると思われるかもしれないが,こういった思考実験自体は,いくぶんかの想像力と抽象的な効用計算だけでじゅうぶん可能だ.つまり,何が言いたいかというと,無知のヴェールの議論にはたしかに普遍性はないし,宇宙人にも通じないかもしれない.けれども,同時にそれは宇宙人にもっとも通じる可能性のある議論だとも言えるんじゃないかな,ということ.
 
 かなたへと,ふりそそげ,無知の布